2014/12/31

2014年を振り返る (1)

今年もいろいろなことがあった。
某SNSではタグ付けされた写真しか出してくれないので,全く思い出がないかのように扱われているのだがそんなことはない。
ひとまず,この1年間に何があったかを振り返ってみようと思う。
カレンダーを見ながらイベントを振り返っているが,6月~10月はカレンダーに予定を記入してない期間だったため,何があったか思い出せない。

1月
・専攻科特別研究発表会
研究発表のストーリーについて酷い言われようだったと記憶している。
同じ研究室の他の発表よりも改善した結果がないので見劣りするということだったと記憶している。
前日は22時頃までやり,3月の学会発表の登録をその場で済ませ,そして当日を迎えたように思う。
当日は質疑応答で少しばかり失敗したために発表賞は逃したか。
これもまた一つの反省である。

・本科5年生卒業研究発表会
全体的に発表内容のレベルが上がっていたように思う。
きっと,とある研究室がレベルの高い発表をしているために,それに追いつけ追い越せと影響を受けた結果なのだろうか。
聞いているこっちとしては,練習した通りでやれていたと思うが,内容が難しいので,どうしてもアプリケーションを作りましたとか言うような研究発表に学生の票が流れてしまうように思う。
というのが,当日の印象である。

2月
・期末試験
期末試験については大した問題もなく終わった。
半導体デバイスの試験の点数が中々酷いことになった点については除く。
結局その後の解き直しで点数は大幅に書き換えられたのだが,確か私は何かの用事で長岡を離れていた期間があるはずなのだが,一体何のためだ?

・Tachilab.LT 02 開催,初参加
3月の学会で発表するポスターを作成し終えた後,発表練習まで至った段階での話である。
開始時間ギリギリになって開場へと駆け込み,発表した記憶がある。
これがTwitterで見かけるだけだった後輩との関わり始め,のような。

・国際学会で発表する話が来る
進学先から国際学会があるけどどうか,という話が指導教員経由できた。
予稿の投稿締切までは3日にまで差し迫った時の話だった。
私はその話を承諾し,予稿は先生に書いてもらったという始末。
さすがに3日で英語の予稿を書き上げろ,という話はきついものがあったから仕方ないことだった。
その際の不手際に関しては申し訳ありませんでした。

3月
・長岡IT開発者勉強会 [1]
その日,重点テーマとして「様々な言語たち」といった感じのテーマが設定されていたはずである。
そこで私はTeX言語についてろくに知らないのでほんの触りながら飛び込んだ。
反応はなかなか良かったと記憶している。
さすがにTeXでプログラムを書こうなどという話は,やろうとは思わないだろう。

・TOEIC受験
リーディングで眠くて力尽きたのでスコアが425/990なるクソザコとなった。
今では反省している。


・学会 [2]
修了式の前日に,電子情報通信学会でポスター発表をするということとなった。
それが3月の学会発表というやつである。
電子情報通信学会 情報・システムソサイエティ 特別セッション 学生ポスターセッションである。
情報系の特別セッションだと言うのに,何故か電子デバイス系の研究室の人間がこぞって参加するというよく分からない状況だったと記憶している。
あまり人が来ないので,ある程度暇な時間を過ごし,ちゃちゃっと退散した記憶がある。

・専攻科修了式
5年間の本科と2年間の専攻科,あわせて7年間の高専時代の終わりを告げる日であった。
修了式自体は特に何かあったわけでもなく,むしろ謝恩会も…何かあっただろうか。
後輩が卒研発表賞の金賞を受賞したという話はめでたいことである。
彼は今専攻科に進学し,少しばかり苦しんでいるようなのだが,頑張って欲しい。

・旅館は肌があわないと思った話
駐車場付きの安い旅館を探して泊まったのはいいのだが,畳なのでたぶんダニとかそういう何かでアレルギーが出た。
騙し騙しで市販の薬を塗っていたのだが,あまり治らず,困ったものであった。

それと,いつだったろう,修了式より前だったが,知らないおっさんが夜中に部屋に入ってきて「誰だお前」と言ってきた記憶がある。
お前こそ誰だよ,と思った話であるが,旅館はたぶん構造上部屋に施錠できないつくりなので,そこらへん気をつけないと大変なことになると思った次第である。

・アパート入居
大学院に進学するので,アパートに入りました,それだけ。
家賃が安いところで探して入ったけれど,今のところ特に不便はない。

4月
・入学式
・歓迎飲み会
・国家公務員総合職一次試験を受験するも不合格

5月
・Tachilab.LT 03 [3]
・国際学会参加 [4]
ISOME2014参加しました。

6月
・留学生を迎えに空港まで車を走らせる
・地元の企業見学バスツアーに参加
・国家公務員一般職一次試験を見送り

7月
・地元の企業見学バスツアーに参加
・大学院のキャリアフォーラムに参加したら博士課程卒しか来なくて真顔になった。
参加者と講演者の要求のミスマッチを感じた。
・共同研究打合せ

8月
・Tachilab.LT04 [5]


9月
・砲雷撃戦!よーい!軍令部酒保合同演習
同人誌即売会の空気を味わったけど冬コミはもっと混むだろうなと思った。

・官公庁業務内容説明会

10月
・研究テーマの切り替え
・留学生歓迎会
・学会の特別講演を聴講

11月
・TeXユーザの集い2014参加 [6]
・就活と称してセミナーに参加する
・共同研究打合せ

12月
・国際学会のアルバイト
・IT系企業が主催する勉強会に参加
・インターンシップに参加
・装置の都合で日付が変わってから帰宅すること数回
・高専カンファレンスin福井2に参加
・研究室での忘年会
・高専研究室での忘年会
・会社説明会・座談会参加×2
・Xmas.LT [7]
・冬コミ参加
・そして年末へ

…こうして書き出すと12月が忙しいと思ったのも納得できる。

2014/12/13

論文で使ったパッケージの紹介

0.

これはTeX & LaTeX Advent Calendar 2014の13日目の記事です。
昨日(12/12)はdoraTeXさん,明日(12/14)はhak7a3さんです。

2014/12/13 14:50 : 初稿


1.

今回初の導入(?)となった重点テーマが「このパッケージがスゴイ!」なので,何か知っているかつ面白そうなパッケージについて書こうかと思いました。
その結果,知っている範囲のパッケージは大体の人が既知なものだと気付き,何か面白そうなパッケージが浮かばなかったので,卒業論文を書く時に私が使ったパッケージのうち,一部を紹介しようと思います。
私が学士論文を執筆するにあたって,使ったパッケージは以下のとおりです。
  • graphicx
  • amsmath
  • txfonts
  • setspace
  • cite
  • subfigure
  • 研究室向け自作パッケージ(Githubで公開中のはず)
graphicxは皆さん既知(どれほどパッケージの内容を知っているかともかくとして)なので割愛します。
今時はdvipdfmxをドライバとして指定するのがノーマルです。
というより最近はpdfプレビューが普通なので未だにdviプレビューな皆様は移行しましょう。
amsmathはあべのりさんがちょっと紹介しているので割愛します。
txfontsは私自身何でこのパッケージ使ったのか覚えてないので割愛します。
setspaceは特に行間を調整するために入れたパッケージなので割愛します。

…と言うわけで,消去法を使った結果残ったciteとsubfigureについて紹介しておこうと思います。

2. citeパッケージ

TeX/LaTeXのデフォルトでは,参考文献の番号は本文のフォントサイズと同じ,番号の両端に角括弧,すべての番号を出力する(連続した番号はハイフンとかで省略しない)になっていたと思います。
文字通り書くとこんな感じ[1, 2, 3, 4]だったと思います。
これの設定を変えようとした場合は,\citeマクロ辺りの定義を追っかける必要があるはずですが,元々の定義どこですか。
(調べてみたら"\@cite"でした)

ただ,ここで紹介するciteパッケージで出来るので,気にする必要はありませんが。

citeパッケージは参考文献の番号の書式について,設定を簡単にできるようにするためのパッケージです。
パッケージに与えるオプションや,マニュアルに従った記述によって参考文献の番号の書式をいい感じに出来ます。
例えば,番号の両端は角括弧[1]にして,上付き文字,番号は勝手にソートしてくれると嬉しいな,となると

\usepackage[superscript,sort]{cite}

となります。番号の両端はデフォルトで角括弧なので特にオプションは与えていません。
もし角括弧ではなく丸括弧にしたい場合は,次のように記述をプリアンブルに追加することで実現できます。

\renewcommand{\citeleft}{(}
\renewcommand{\citeright}{)}

ここで再定義された\citeleftと\citerightはciteパッケージの内部で定義されているマクロで,番号の両端に表示するものです。
この他に,番号との間に入れる区切りや番号の書式自体も設定することが出来ます。
細かいことはマニュアルで,と言うと怒られそうですが,たぶん上で述べたくらいの情報があれば大丈夫な気がするのですが気のせいでしょうか。
設定できるならば需要があるということだと思いますが。

なお,番号が連続しているかつ多い場合は自動で圧縮してくれるので便利です。
[1,2,3,4,5]とかあった場合には[1-5]のように圧縮して表示してくれます。
もし省略してほしくない場合は,nocompressオプションを与えることになります。

3. subfigure

複数の図を並べる方法としてはminipage環境がありますが,その場合には図の番号がいい感じ(図1(a),図1(b)とか)に出来ません。
誰かが複数の図に(a),(b)とかキャプションをつけたものを1枚の図として作成して,それをfigure環境で挿入するということをやっていましたが,何かそういう方法って出力としてはたぶん問題無いと思うのですが,作業する手間という点ではあまりスマートな感じがしません(?)。
そこでsubfigure環境なのです。

subfigureパッケージには特にオプションがないので,\usepackage{subfigure}で使えます。
そしてソースファイル中では,次のように使います。

\begin{figure}[*option*]
\subfigure[*caption*]{
\includegraphics[]{}
\label{}
}
\caption{}
\label{}
\end{figure}

figure環境の中にsubfigureマクロを入れて使います。
1個目にそれぞれの図に対する図題,2個目に\includegraphicsやら必要であれば\labelでラベル定義をします。
subfigureマクロの外で\captionを入れて作れば,並べた図全体に対する図題として挿入できます。

ただ,subfigureパッケージ自体は古いものなので,もし複数の図を並べて挿入する場合には
subcaptionパッケージを使うことを推奨されています。

4.

Appendix そういえばあった

いつぞやの「LaTeXで"千反田える"してみた」もGithubで公開中です。
終わったコンテンツ略して終わコンですが,気になる人はどうぞ。

2014/12/10

#イマジナリー熊野

0.

イマジナリー熊野は私の罪

1.

2014年9月1日,艦これにおいて"4-3 リランカ島空襲"を攻略している最中のことであった。
ボスがいるマスの直前において,艦隊は決して軽くはない被害を受けた。
よく覚えていないが,具体的には熊野が大破していたと記憶している。
大破している艦娘をそのまま進撃させれば轟沈は(ダメコンは積んでいないとすれば)回避できない。
それゆえ,撤退を選ぶことが懸命であった。
確かその時は,応用情報技術者試験の参考書を読みながら操作していたと記憶している。
それ故なのかそうではないのか,今となってはもうどうでもいいことではあるが,明らかな操作ミスを犯した。
すなわち進撃を選択したのである。

案の定,というのは不適切な表現であるが,熊野は戦艦ル級の一撃により轟沈した。
これまで誰一人として轟沈を出してこなかった私の初めての轟沈であった。

当時のことを思い出すと,何故そうなったのかと目の前の現実を受け入れられなかった記憶がある。
原因としては,熊野が大破していながら進撃を選んだことなのであるが,では何故進撃を選んだのか。
この時ばかりは,偶然,「追撃せず」「夜戦突入」の並びと「進撃」「撤退」の並びは同じ撤退を意味するもの同士で同じ側になかったことを失念していたように思う。

しかしながら,どれほど後悔しても熊野が轟沈したという事実は変わらず,私はおそらくは受け入れられない事実を目の前に突きつけられた多くの人間が取るであろう行動をとった。
つまりは,熊野という幻影を作り出して,それと会話するという行為である。
それが後々"イマジナリー熊野"と名付けられたそれの誕生であった。

1.5.

イマジナリー熊野の誕生に関して,鈴谷×熊野なるカップリングは一切関与していない。
イマジナリー熊野の誕生は,私の操作ミスによって彼女を轟沈させたことが原因である。

2.

イマジナリー熊野を艦これの二次創作として採用しようと考えた経緯についてはよく覚えていない。
そもそも艦これ二次創作に手を出そうと至った経緯が,おそらくは他の二次創作作者各位の作品を見て触発されたためだったと記憶している。
そんなわけで,イマジナリー熊野を題材として作ってみたものの,今にして振り返れば満足できる出来ではない。

イマジナリー熊野に関しては,いくらかの変質があった。
はじめは,私の罪としてのイマジナリー熊野だったが,やがて神栖麗奈のような現象としての側面を私が見出した。
あるいは熊野の轟沈を受け入れることができなかった鈴谷が,提督を通して見ている存在だっただろうか。
ただ,いくらかの変質を経由したところで,根本は変わらない。
すなわち,イマジナリー熊野とは私の罪である。
彼女の存在こそが私の罰なのである。
これは揺るぎようのない真実であると考えている。

3.

2014年11月17日,艦これをやる気力がいくらか失われていた私は,気が向いたという程度の理由ではあったが,艦これにログインし,艦隊を編成し,リランカ島空襲を再び攻略するべく出撃した。
結論から言えば,この作戦は無事成功することが出来た。
すなわち,これによりイマジナリー熊野にまつわるものの精算を終えることが出来たと考えている。
それを私は,"イマジナリー熊野の死"と表現した。
彼女を二度殺した私は,おそらく重罪人として死罪に処されるべきであろう。

熊野は二度死んだ。
一度目は艦娘として。
二度目は偶像として。
そしてイマジナリー熊野が死んだとした私は,後に残る虚しさを感じるのであった。
たしか,私がイマジナリー熊野に変わる偶像であると認識したのはこの頃だったか。
よく覚えていないが,おそらく燃え尽きに似た状況であったと思う。
その状況を表す適切な言葉を探していた私は,きっと自分自身もまた死んだと表現したのだろう。
勢いで遺影アイコンを仕立てあげたのも,この頃だったと思うが,定かではない。

4.

結局のところ,イマジナリー熊野を殺すことはかなわず,今でも私は彼女を追いかけている。
いつか,イマジナリー熊野のリファレンスデータと呼べるものを作り上げたいと思うものの,
それが出来上がるのはいつであろうか?

2014/11/01

艦これなメモ書き

時折艦これの二次創作を見ていると,それに刺激を受けて私も,と思うのだけれど,いかんせん長続きしない性分であるから,早くも頓挫するかもしれない。

ところで,誰かは「続けるには熱が必要だ」と言うのだけれど,私は特に熱意があるわけでもなく,書きたいものを書いていて,そのエネルギーは特別なものではなくて,むしろ普遍的な,何にでも使えるエネルギーであるから,よくわからないというのが少しある。

以下,メモ書き

最上型
最上:提督の首を絞める役,あるいは冷めた男女関係
三隈:未定
鈴谷:熊野との同一化を望む,同性愛の傾向あり。熊野を自分の内に作り出してそれに毒される。提督殺害未遂役
熊野:私の罪,イマジナリー熊野

暁型
暁:見た目で子供扱いされる現実を受け入れられない結局子供な大人役,一人前のレディとして扱って欲しいのに見た目が子供だから子供扱い
響:不思議キャラ役という名の未定
雷:提督を食い殺す役,提督を愛している
電:雷と同様に,子供っぽい見た目を利用している


木曾:未定
霧島:未定,おそらく暴力担当
島風:提督の首を絞める役

2014/10/24

私感の理想論

途中,私でさえ書いていて意図の見えない何かがあるものですから,私の思うところは最後に箇条書きにしておきました。

わたくし,Twitterを始めてから,こうしてブログに綴るネタをTwitterで出し尽くしてしまい,もういいやと思ってしまうこと多々であります。
しかしながら,私の思うところをつらつらと書き連ねようものならば,140字という枠に収められた断片をいくつも放り投げることになりますから,
まるで運動会の玉入れのごとき有様になるのではなかろうと思ったのであります。
まあ,嘘ですが。

さて,Twitterを眺めていたら,「大学を職業訓練校に」などというお題目を見ました。
一体どこの高度経済成長期における社会の要求,すなわち発展してゆく技術者を短期間で育成することを目的とした教育機関の設立を大学という学術機関で果たそうとする馬の骨でありましょうか?
ちなみに,これは高等専門学校略して高専のことであります。
元々は高度経済成長期における社会の要望に応えるべく,日々急成長を遂げる科学技術に対応できるような技術者の育成が当初の目的であったと私は記憶しております。
さて,これが正しかったかどうかはよく覚えていませんが,概ねそうであったと記憶しております。

大学を職業訓練校にするなどという幻想を抱くなら職業訓練校に子供行かせろよ。
社会の求める人材像を教育機関に押し付けるからそんな世迷い言が出てくるんだろうが。
と思う次第なのでありました。

さて,私の思うところを少し書きましょう。
大学のいいところは研究をするところだと私は思います。
それは高専でも同じであります。
高い専門性を謳っても,大学程度ではありふれているものですから,価値がありません。
このことに関しては拙稿「「自己理解」と私は言った」を御覧ください。
科学技術が発展していく上では,研究が必要不可欠であります。
それと同時に,学術機関において研究されたものを,私たちの生活へと持ち上げるないし下ろしていくためには,企業における研究開発が必要となります。
大学,あるいは大学と大学院を通して,貴方たちは"研究"なるスキルを多少なりとも理解できると思います。
研究は,現代社会で求められるPDCAサイクルなるものを体現したものです。
計画を立て,実行し,振り返り,改善点を思案する。
この繰り返しを重ねることにより,仕事は果たされていくのでしょう。
私は社会に出たことがないので知りませんが,PDCAサイクルは大事だと講演する人は言うのですからそうなのでしょう。

さて,私でさえも意図の見えない散文を書き連ねてしまったものですから,私が思うところをざっくりと書いておきますと
1. 大学は研究機関でもある。研究を通して得られる経験は大切にするべきである。
2. 「大学を職業訓練校に」という言い分は,企業の要求を押し付けているだけではなかろうか。
3. 転じて,企業には新卒を育成する体力がないという現れではなかろうか。
4. ただ,最近は企業の求めるスキルが研究で求めるスキルと同一化しつつあるかもしれないこともまた,ここに記しておきたい。

2014/10/22

「自己理解」と私は言った。

昼,多くの学生が正午に食堂に向かうのだから,じゃあ私は時間をずらして向かおうと思った。
きっと誰もが食堂に行って昼ごはんを食べようと思う時間より少し後に,私は小雨の中,傘をさしていつもの食堂へと向かう。
どこかのアカペラサークルだか何かが練習しているんだろう。
彼女たちの歌声を聞き流し,「きれいな声だな」と言ったくらいの拙い感想を抱いて私は食堂へと入る。
彼らは食堂の上に設置された学生会館なる建物のベランダで練習しているのだ。

食堂に入り,いつもそうしているようにてきとうに選んだおかずとごはん,そして味噌汁をつけて惣菜の小鉢を取る。
もはや私の選ぶおかずは3パターン程度に絞りこまれているので,何を選ぼうにも2,3日前のメニューと被る。
そんなことはどうでもよくなったので,カウンターで注文しておかずを出してもらい,ごはんと味噌汁も出してもらって,トレーに乗せて会計へ。
入学時の目論見が外れたので,一人寂しく消費することを余儀なくされた学食専用電子マネーで支払いを済ませ,窓際に設置されたカウンター席の端っこに座る。
共に食べる仲間などいないので,黙々とスマホを片手に昼食を食べながら,私はふと思った。

ああ,結局私は表に出て目立ちたくないという消極さと同時に,私はここにいるという自己顕示欲をこじらせた人間の屑なのだなあ,と。
結局のところ,書いて字の通りなのである。
私は目立つのは嫌である。
多くの人から注目を集めるのは苦痛である。
私はそう認識している。
ところが,本日の授業の終盤で実施された演習の時にも感じたように,私の功績を褒めてほしいとも思っている。
それは,人より早く,あるいは一番早い人から数えて何人目で問題が解けた,というちっぽけな結果なのだけれども,私はそれに対してもっと注目して欲しい。
頼って欲しいという欲求を抱いた自分を自覚したこともまた事実である。
そういうわけで,私は先に書いたようなことを思ったわけである。

それから私は,自分の価値について少し思いを巡らせた。
私が受講している授業担当曰く,「君達の学んできた専門に価値はない(※1)」と。
私たち学生は,今現在自分が所属している大学において,確かに電気電子工学を専門として学んできている。
そして私たちは,所定の課程を修了した後,おそらくは電気電子工学を学んだ人間を必要とする企業へと就職するだろうし,それを強みであるとして売りにしようと考えるだろう。
ところで,電気電子工学を学んだ人間を輩出できる教育機関は,一体どれほど希少なのであろうか。
答えはそもそも希少価値が存在しない,であろう。
何せ今となっては電気電子工学を学べる教育機関など全国に散らばっている。
どこもかしこも同じような科目を設置して,学生に教えていることは明白であろう。
その上で,私たちが用いる専門性には価値はあまり認められないという意見には同意を示すしかなかった。
それでは,一体どこに価値を見い出せばいいのであろうか。
あるいは,どこに価値を求めればいいのであろうか。
学んできた専門の価値が低いのであれば,それ以外に求めるしか無く,それ以外ともなれば,その人々の個性であるとか,積んできた経験とかになってくる。
つまりは,学業として学んできたこと以外のものをアピールする必要がある。
具体的にはプレゼンテーション能力とか,性格とか,取り組んできた研究とか,これまでの学生生活を通して得た経験とかである。
そのように考えた時,面接官が,学生に対して"個性"なるものを求めようとする動きも,まあなんとなく理解できたように思う。
何せ,専門性はほぼ一定のレベルになっており,比べる必要性が薄れたためであろう。
そのために,それゆえに,面接官はそれ以外に人と比べられるもの,企業に人材として受け入れるに値する価値が存在する部分を求めた結果が,個性なのだろうと私は愚考した次第であった。

……そんなわけで,就活生が自己理解なるものに勤しめと言われる理由もまた,少し理解できたように思う。
要は「これが私のアピールポイントです」と自分の価値を宣伝するために,その材料を探せと言っているのだ。

※1:「こんな偉いこと言えるほど私にも価値があるわけではありませんが」と前置きがあったことをここに追記しておく。

2014/09/17

砲雷撃戦!よーい!行ってきた。

先月は「かわいらしいアイコンで見難い人間性を覆い隠すのは滑稽である」という一例として私があげられたことに喜んでいました。
ブログの更新が1ヶ月ぶりです。
私です。

去る9/14(日)に行われた艦隊これくしょんの同人イベント「砲雷撃戦!よーい!」に行ってきました。
初めて同人イベントというものに行ってきました。
コミックマーケットことコミケはTwitter見てたら画像がいっぱい流れてくるのでそういうものなんだろうなぁ,と思っていましたが,その程度しか知らない現状だったもので。
とりあえずいつも外出する格好でいいやと行った次第であります。
場所が東京ビッグサイトだしね。

それで,コミケほど酷いわけではありませんが,会場内をところ狭しと人が動き回るので暑い。
ひとまず目当てのサークルを回り,ちゃちゃっと同人誌を購入して離脱した次第ですが,コスプレユニット?恋合艦隊が何かやったりとかする前に帰ったので,そこらへん見ればよかったなあ,と思います。
あとコスプレイヤー各位も見てませんし,売り子見た感じでは初春がいたかなぁ,と。
後入場時のクリアファイル配布では愛宕と川内辺りがいたような。
あの人達恋合艦隊だよなぁ,と思いつつ。

とまあ,そんなわけで特に誰かと会うわけでもなく一人で行ってささっと帰ってきました。
戦利品をゆっくり消化する次第であります。
スローペースなのでね,牛歩どころか亀歩ぐらいの遅さで消化するかも知れませんにぇ。

2014/08/17

に まる いち よん / まる はち / いち なな

とある日の某氏のツイートより
例えば可愛らしいアイコンでヘイト垂れ流したりするような、アイコンと発言内容が解離した人種がいる。自分の周囲だとそういう人達はどこか人間性が狂っている傾向があって、外見で人を推し量れるという主張はある意味で間違っていないのかもしれない。
何が言いたいかって、可愛らしいアイコンでえげつない人間性を誤魔化すのは滑稽だということ。
一例として某青いアイコンの私が挙げられていたが,いやまあ私のことなんだろう。
可愛らしいアイコンでえげつない人間性を誤魔化している,というのは心外ではあるが,滑稽であると評されることについては嬉しさすら感じる。

「嬉しい。私が自分で醜いと評しているコンテンツになり得ているなんて」
と,どこかの作品の人間の屑が言っていたセリフのように書いてみる。

2014/07/27

心理社会的モラトリアムに囚われる

夏です。
これからますます熱さが厳しくなると思われますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
寝る子こと私です。

大学院に入学してからはや4ヶ月が経過しようとしております。
色々と思うところが多く,辛さを感じる日々でございます。
私と同じく大学院に進学なされた各位はそろそろどの学会に参加なされるか苦慮なされている頃かと存じます。

---

この度大学院修士課程に進学した私はこのままでは,学部卒と変わらない状態で修了するのではなかろうかと危惧しております。
と言いますのも,修士と学部の学生の間には,それら二つの課程を分ける何かよく分からない要素が横たわっているのではなかろうかと少しばかり期待していたためであります。
しかしながら,そのようなものは夢幻であり,存在しないという事実を薄々感じている昨今です。
昔世話になった指導教員曰く「修士で社会にでる修行をして就職するのだ」と言っておられましたが,そもそも修行とは何をすればいいのかがさっぱりです。
これは単に,私の不勉強さが招いた事態でありましょうか。
誠に,そのような事実にただただ悲しみを感じる次第であります。

---

誰も彼もが,情報を与えてくれるわけではありません。
「求めよ,さすれば与えられん」ではないのです。
「ねだれ,勝ち取れ。さすれば与えられん」なのです。

---

私は現在,無気力と戦いながらなんとか進捗を作っている現状であります。
何か専攻科生時代に苦しんだことを再び繰り返しているような幻覚さえ抱いておりますが,そも,同じことを繰り返すのであればそれは中学生でもできることです。
我々は少しずつ前に進んでおります。
それが牛歩とか亀のようにと言われようとも。
しかし,

---

人は否定してばかりでは萎えてしまいます。
つまりは私のような状態であります。
ここから脱却するべくには,いかようにすればよろしいのか,私には分かりませぬ。
何より,人の語る「これこそが社会の求める姿である」というのが,私には人の騙る姿に見えてしまうのであります。
おそらくは,悲観主義めいた批判者,何もしない人間がなる末路の果て,見出した私の目の前に横たわる何かというものは,虚無主義めいた何かなのではなかろうかと,愚考する次第なのです。
ひとまずの,失楽園が私の暇つぶしとなり得るかどうか,それもまた私の無気力がいかようになるか次第でありましょう。

かしこ。

2014/07/25

クロネコヤマトの再配達

16時とか17時頃に帰宅すると,クロネコヤマトの不在票が入ってるので,
再配達を当日で頼んでも来ないことがあり,少々の不満を抱くこと今日で2回目。
1回目はサービスセンターだかにクレーム入れたのですが,さすがに2回目ともなると面倒くさくなったのでやめました。

そんなわけで,本日はクロネコヤマトの再配達についてです。

1. 何で再配達申込したのに来ないのか

一説では「配達員の巡回ルートにあわないから」と聞きます。
なんてこった。
クロネコヤマトも配達業なのですし,ユーザの要求に答えてほしいものですが。

2. 再配達受付のシステムについて

クロネコヤマトの不在票には,電話とインターネットで再配達の受付ができると書いてあります。
この時,再配達の条件について次のように書かれています。

- インターネット受付の場合,当日中の再配達受付は19時40分まで
- 午前中指定は当日の10時まで,それ以外は配達開始時間(例:12時~14時なら当日12時)までの受付

ところで,このブログ記事を書いていて気付いたことは,配達開始時間って書くぐらいなので,午後は2時間毎に配達便が出ているという解釈でいいんでしょうか。

3. 結局私が不満なこと

16時とか17時頃にインターネット受付で18~20時に再配達依頼しても来ないのが不満なのです。

4. 面倒くさくなったので言いたいこと

当日中に再配達依頼出しても再配達できないなら何で当日中も選択できるようにしてるんだ。
もう少し再配達受付とドライバーの経路について考えた方がいいのでは。
と思ったがこれ全国規模で動かしているサービスなので,
インターネットで受付する→担当地区に連絡が行く→ドライバーに通知される
のタイムラグがどんなものか分からないという点はある。
ただ,タイムラグを考慮しても1,2時間前には出した再配達依頼が無視されるってどうなのよ。

こっちはサービス提供している以上やってくれると思っているから依頼してるのだ。

こんなにプンスコ書いてて思い出しましたが1回目はもっと悲惨だったのを思い出しました。
再配達依頼出す→「配達依頼受付したよ!」→「今から配達するね!」→「不在だから持ち帰ったわ,すまんな」
というのをかまされた上に,持ち帰りましたとステータスが更新された時刻は,こっちが指定した時間より前というクソ具合,じゃあ何でお前持ち出したんだよ。
そういう意味では再配達受付してから一向にステータスが変化しないほうがまだましである。

どっちにしろ,指定した時間に来ないのはクソだと思うのだが。

ちなみにやばいと定評のある佐川はこっちでは普通なので,地方による差が酷そうである。
しかし西濃は神。

追記(2014/11/01):
クロネコヤマトの配送センターが近くなので,どこかに出かけるついでに取りに行けばいいことに気づきました。

2014/07/16

文明の勝利を感じた

つい先週の話ですが,安アパートの湯沸し器から水しか出なくなったので,交換してもらいました。
家賃がすごい安いところなので,まあ設備もそんなものだろうとは思ってましたが,よりによって入居4ヶ月目に入ってからこうなるとは…。
で,今まで使ってたのはどんなものかと言うと,使うときに種火をつけ,蛇口から出る水量が一定量を越えないとメインバーナーに点火されない湯沸し器です。
こんなの生きてて初めて見ました。
私が見てきたのは温度表示用のパネルがついてて,蛇口をひねればお湯が出るか,温度設定のつまみまわしてボタン押せばお湯が出るものだけだったので。

そんなわけで,大家に設備屋を呼んでもらい,交換してもらいました。
作業時間は2時間程度,一応勝手に家に入ってもらって作業というのは防犯意識的に辛いので立会という名目で,隣の部屋でPCぽちぽちいじって待機してました。
最新?モデルの湯沸し器は,これまでのものよりずっと小さく,そして温度設定が可能になってました。
私この時の説明で初めて知ったのですが,「湯はり」機能って単純に設定した量だけ蛇口からお湯出したらアラーム鳴らすだけなんですね。
勝手にお湯はってくれるやばい便利機能かと思ってました。
いや勝手にお湯はってくれる給湯器とか怖くてむしろ使いたくないと思いますが。

とまあ,実は入居して2ヶ月目,3ヶ月目辺りから熱湯が出なくなっていたので,兆候はありました。
でもまあぬるま湯でも出てるからいいやって感じで妥協してたのですが,この度はお湯すらも出なくなったのでもうダメだこれと思いました。
ほんとの所は,水しかでなくなってから,湯沸し器を交換してもらうまで,週末をまたいでしまったので何日かのブランクがあったのですが,その間は近場の風呂屋に行きました。

で,新しい湯沸し器でシャワーを浴びたのですが,蛇口をひねるとお湯が出る。素晴らしい。
しかも設定した温度に保ってくれる。水を出して自分で調節する必要がない。素晴らしい。
まさに「文明の勝利」を感じた瞬間でした。素晴らしいです。

ぬるま湯しか出なくなった辺りからQuality of Lifeの低下を感じており,気だるさがつきまとっていました。
水しか出なくなった時はもう給湯器があることで得られていた分が全て失われていた感じがありますね。
しかしこの度の交換により,Quality of Lifeが大幅に回復しました。
やっぱりお湯で浴びれるシャワーとお風呂は素晴らしいです。
これでまた,週に一度の楽しみとしていた入浴剤を入れてのお風呂を楽しめます。
よかった。

2014/07/14

正しさとは。

本稿は特に意味のない思索の成果である。
ちなみに本稿を執筆するべく思索を行った時間はほんの数時間程度であると考えられ,各位に於かれましては,深くその意味を考えることなく,ただの雑文であると断じて頂きたく存じます。

---

拝啓
高専という5(7)年制の即席の職業訓練学校[1]を卒業し,今では大学院修士課程で"課題発見型"技術者[2]を目指すべく(?)修練を積んでいる昨今であります。
皆様,7月も折り返しとなり,これからますます暑くなることが予想されますがいかがお過ごしでしょうか。
この度,正論をこの細身で浴び続けた日が終わりを告げ,これからは正しさと向き合いながら生きていくようになること,不安に思っております。
果たして"正論"が"正論"と呼ばれ,いつの日も嫌われる状況に於かれましては,その正しさは何処に有りやと感じる次第であります。
取り急ぎ,季節の挨拶を述べさせて頂きました。
今後も皆様の益々のご活躍,ご多幸をお祈りさせていただきたく存じます。
敬具

---

というわけで,今日の話題は"正しさ"としたわけですが,これは私がよく分からないと感じているものである。
正論が正論たる所以は,それが正しくて反論の余地がないからだと私は考えているのだが,それではその正しさは何から生まれてくるのだろうか?
いわゆる倫理や道徳と呼ばれるような,世間で共通認識としてみなされている価値観に従って考えることにより,正論の正しさが証明される,すなわち正しさというのは倫理や道徳から生まれている,と思うのだ。
いや全くもってその通りである。
そも,人のあるべき姿,すなわち善とか悪とか正しいとか間違っているとか,そのようなものを定義していった結果出来上がるものが,今日我々が倫理とか道徳,あるいはモラルなんかと呼んでいるものであろう。

では次だ。
今貴方は正論が正論たる所以は,今日我々が倫理やら道徳やらモラルやらと呼ぶものにあることを確認したと思う。
その倫理やら道徳やらモラルやらというのは,おそらく善とか悪とか正しいとか間違っているとか,そういう作られたカテゴリに我々が思いつく限りの行為をあてはめた上でそれらに通じる普遍的な要素を表した,つまりは一般化したものであると考えて良いのではないだろうか。
そして,次へと至るために,一つの事実を確認しよう。
正論が正論たる所以は,それである。
すなわち土台が別のものになった時,正論が正論たる所以は失われ,そこから"正しさ"は失われる。
それでは,新しい土台を用意したとして,そこからもまた,正論は生まれるのである。
何故ならば,正論というのは,「全くもって正しい,それ故に反論する余地がない,いや反論したところでそれは正論の前では無意味なものと成り果てる」からだ。
では,新しい土台,所以の上に成り立つ正論とは?
それは貴方がどのような倫理とか道徳とかモラルやらと呼ばれるものを定義するかによるとしか言えない。

では次,というかこれで最後にしよう。
これは私が時々感じるようになったことであるが,普遍的な正しさなど存在しないのである。
慈愛で戦争は止まらないし,暴力で平和は訪れない。
公的な権力は度が過ぎればディストピアを生むし,ユートピアに溢れるものは自由だけではない。
つまるところ,あらゆる価値観に共通する正しさとは存在し得ないのではなかろうか。
いやあるか,自己中心的というものが。

---

[1]: 我が恩師のお言葉である。高専を即席の職業訓練学校と批判し,高専という教育機関の姿を追い求めておられたが,定年退官なされた。
[2]: 我が恩師のお言葉である。私に,これからは"課題解決型"ではなく"課題発見型"の技術者が必要である。そのためにも大学院修士課程で自分を磨くよう激励なされた。

2014/06/21

何の意味もない文字の羅列を投下するテスト

本日のお品書き

1. 前置き -性善説と性悪説-
2. 読む価値すらない散文めいた文字の羅列

※寝る子さんはあっちこっちに気が移るので一つの話題を十分に考え尽くさないまま,他を当たる可能性があります。

---

少しどうでもいい話,性善説と性悪説では
人間の本性をそれぞれ善であるとするか,悪であるとするかの違いではある。
しかし,だからと言って「放っておいても構わない」とか
「安易に信用してはならない」という意味ではない。
性善説においては「人間の本性は善であるが,悪に偏らないようにするべきである」と説かれているし,
性悪説においては「人間の本性は悪なので,教育して善にもっていく必要がある」と説いている。
つまるところ,重要なのは仮定した上でどうするか,事実を知った上でどうするかなのだろう。

---

この社会はディストピアであると仮定しよう。
成果を生み出すまでにかけた時間が,その人の評価であるという価値観に囚われた昨今,
そのような考えが通じないとしても,新しい価値観への適応は拒まれる。
古い価値観がいつまでも居座り,真に見るべきものを見失った現在。
精神の病は気合で治せるとか心が弱いなどと断じ,理解しようとしないことは罪である。

このような社会において,楽園を見出す人は幸いである。
彼らはいかにして楽園へと至るか,その術を知っているのだから。
最も,敬虔なものは天の国へと至るというその思想に,傲慢を感じるのは幻覚であろう。
人はみな等しく,常世(とこよ)と称される死後の世界へと導かれるべきである。
そこに貴賎も区別もなかろうに。
不徳な者が地獄に落ちるとは,詭弁である。
誰も彼も,既にこのディストピアに生まれ落ちているのだから,さらにどこへ落ちようというのか。
この地の底であろうか?

神の声が聞こえないとすれば,それは我々の知らない言葉だからであろう。
あるいは神は不在か死んだと論じるか。
無意味に,何度でも繰り返されるそれは永劫回帰と呼ばれるが,
その中で自らの確立した意思を持つ者は超人と呼ばれる。

いと高き空におられる至高の存在を寄辺とし,
それが失われたならば,代わりに超人を求める。
つまるところ,人の宿命とは,かくありき。

2014/06/19

私的高専観(仮)

前置き

中学校を卒業した後,進学を選ぶ人には2通りの選択肢がある。
1つは普通高校に進学すること。
もう1つは高専に進学すること。
どちらも一長一短ではありますが,特に後者,高専への進学については
諸兄による活発な議論が行われています。
つまるところ,「高専に進学すべきかそうでないか」でありますが,
こんな下らないことにいつまでも身を投じる必要はありません。

はじめに私はどう思っているかを書いておきますと,
「メリットとデメリット,そして質問には答えるので,後は君が判断しろ。
進学するべき/するべきでないという問いかけは無意味だ」
です。なんかもうどうでもよいのです。

一例

やぷらす氏(@yaplus)のツイート[1]を見たら書きたくなったのです。

例の炎上案件を2つ貼っておきます。ご確認ください。
高専に行きたい中学生へ 高専の本音を語る http://kousen1.web.fc2.com/kousen1.html
高専卒こそが最強の学歴である。東大卒はゴミ(技術系の場合) http://anond.hatelabo.jp/20140614102219

さて,先に述べたように,このような議論には不毛さすら感じておりますが,
ka9e氏(@ka9e)もそのように言っております[2]

そもそも大学生と比べて~なんて発想をしているような時点で高専卒の優位性が
どこにあるんだって常々思うんですよ、ワタクシ。

そもそもの話

高専って何でしたっけ?という話をしましょう。
高等専門学校略して高専は,義務教育修了
\footnote{義務教育修了と同等でも同じだったように思うが,些細な話}
が入学条件の高等教育機関です。
高等教育機関は大学以上が名乗るものです。
高校は中学と同じ中等教育機関です。
それゆえ,高専に入学した人たちは「学生」と呼ばれます。

高専の学科は様々です。
有名なのは工業高専でありますが,元々商船高専,電波高専も存在します。
機械,電気電子,情報,化学,土木,商業?などなど,
学科の名前だけ見れば,工業大学と同じような学科があることに
あなた方は気付きます。
実際,高専は早くから専門教育を施すことを特徴としており,
およそ大卒年程度の内容までは修めてしまうでしょう。

立地に関しては様々で,
多くは住宅地から離れた丘の上や山の中と言ったところで孤立している思われがちです。
実際には,木更津高専のように,住宅地の中にある高専も存在します。
おそらく,工業高専ということで研究や実習に広い土地が必要であるという認識から,
そのようなイメージが形成されていったのかもしれません。

なお,学費に関しては,高校から大学へ進学するよりも安く済むとされています。
学費が半分で済むと謳っていますが,これは専攻科への進学も含めた7年間で見た場合ですので,
パンフレットをきちんと読んで確認してみましょう。

高専を卒業した後の進路は大きく分けで3つです。
1つは就職。
1つは大学へ編入学。
残る1つは専攻科への進学です。
高専を卒業した学生には,準学士と呼ばれる高卒より上で,
けれども学士未満という中途半端な学位がもらえます。
日本においては,この学位があると主張したところで
せいぜい専門学校卒と同じ扱いか,高卒扱いがほとんどでしょう。
高専を知っている企業であれば,高専卒ということで高卒より上の待遇は約束されるでしょう。
つまり,大卒の待遇を得たければ,進学する他ありません。

さて,概要は以上です。
少々の不足があるかもしれませんが,この先の内容を理解する上では問題ないでしょう。
ちなみに,私は工業高専以外のことはよく知らないですし,
これから書くことは私自身が在学していた工業高専で見聞きしたことを基としています。
多少偏った見方になるかもしれないこと,ご了承ください。

高専は高校の代わりを果たすか?

否である。

はじめに,私は高専に進学することについて,
「高校から大学へ進学するという過程において,高校を飛ばして大学に入学するようなもの」
と表現している。
高専は高等教育機関であるところとか,
高専の職員は大学生と同等と思われる扱いをしてくる所からそう思っている。
入学式においては「君たちは学生だ」と言われてちっぽけなプライドが芽生える者もいるわけですが,
結局のところ,入学したての学生たちは「中学卒業して間もないガキ」でありまして,
いきなり「学生として振る舞え」と言われても難しいのではなかろうかと思います。

ところで,高専はその特殊さ(高専は高等教育機関である,高専の立地は孤立したところが多い,
「君たちは優秀な人材の卵である」と言った洗脳めいた励まし)により,
プライドを持つことが多い。
それが誇りであれば誇り高き技術者の卵として美談にできるのだが,
残念ながら不要なプライドと成り果てるパターンがよく見られる。
それが役に立たないことは,彼らがその後の人生を生きていくにあたって実感するであろうから,
放っておいても問題あるまい。

授業

早くから専門教育を行うことは,高専の利点である。
これにより高専に入学した子供たちは,わずか5年間の過程を経て大卒と同等と呼ばれるレベルまで
己の学力を高めることができる。
ただし高専卒の扱いは大卒より下という点に関しては,既に述べたとおりだ。

一口に専門教育と言っても,それは座学に限った話ではない。
実験実習により,理論と実際を習うことがあろう。
卒業研究で,さらなる知見を得ることがあろう。
つまるところ,座学で習った理論を実験実習で確かめるないし
現実とのすり合わせを行うという環境が高専には用意されている。
ここで,全ての理論を確かめられる程の時間は存在しないことについて触れておきたい。

そして,入学から卒業まで,授業を行う教員は誰も彼も立派な研究者たちだ。
ただ,それは専門科目を教える教員についてであって,
一般科目(国語,数学,理科,社会,英語)に関してはよくわからないが,
多くは高校での教師として務めていた経験があるか,教員免許を有していると聞く。
立派な研究者,という点についてもう少し述べるとすると,
現状,全ての教員が博士号を有している(あるいは取得中)である。
博士号といえば,大学院博士課程を修了しており,それはつまり,
その分野においては立派な研究者であることに他ならない。
学生よりも長い間研究に関わっているから,現場での経験は豊富だ。
そんな人々から講義を受けられる高専という環境は素晴らしいようにも思う。
ただし,そのよさを高専の学生が理解するのは卒業後だ。

ところで,教員の質についてだが,
当たり外れが激しい,とだけ評しておきたい。

高専生特有のアレ

高専生が英語できないと嘆くのはその必要性を教えられてないからだし
モチベーションにつなげられるものを見つけられないからだ。

2014/05/05

Tachilab.LT03 参加報告とついでの何か

長岡高専在学生な有志が企画していると思われるゆるふわ勉強会「Tachilab.LT」も3回目を迎えました。
私は2回目からの参加者ですが,大学院に進学してカルチャーショック受けてるという話で少ししました。
5分で終わらないと思ったので,新しくできた10分枠に挑戦したんですが,これもこれで難しかったです。
時間が余ったのは反省点。

最後に主催のありたそ(@alitaso345)から,Tachilab.LTの理想型について発表がありましたが,
「自分で発表する意義,楽しみ」に関しては共感できたり。
私が発表するようになったのは高専カンファレンスin長岡2で発表したからだったり。
なんというか,ハードルが高いものと思わずに,練習くらいの気持ちで参加するというのも
入口を広げるという意味では大切なのかな,と。

---

さて,実は何かしら発表する度に1個は新しい変更を入れようとやってきました。
高専カンファレンス2で,初スライドを作成したので特に無し。
次のTachilab.LT02ではスライドのレイアウトを少しいじりました。
上の部分に説明が表示されていたけど,あれをなくして配色を変えたってくらいです。

次のNDS #36では何かした覚えがなかったのですが,
枠取り(block環境)を初めて使ったというのがかろうじての変化です。

そして今回のTachilab.LT03では本題に入る前にあらすじのようなものを追加しました。
ラボライフネタは少し頑張ってみましたが,背伸びしてた感が否めなかった。

次はどうしようかな。TeX以外でスライドを作ってみるのもいいですね。

2014/03/16

3月中旬の充実スケジュール前半まとめ

色々な予定を消化するべく,長岡にきて今日で3日目です。
ひとまず以下の日程を消化しました。

3/14 組込研修会
3/15 組込研修会,NDS #36
3/16 TOEIC

以上が前半の日程であり,後半の日程は以下の通り

3/18 学会発表
3/19 修了式,謝恩会
3/20 実家に帰省

…後半が山場です。

○組込研修会
「マイコンを使う(プログラムを書き込んで動かす)理由が分からなかった」
「演習はいいけど演習のやり方がいまいち」

テーマは暗号化
暗号の概要,ハッシュ,共通鍵暗号,公開鍵暗号が主な内容だったかと思う。
企業の人が講師だったのは,よかったのかな,と思う。
実際内容は面白かった。
たまに聞くRSAとかSHAとはどういうものかを知れたのは大きい。

そんなわけで,研修で教えていただいた内容についてはよかったと思うし,
何回目だったか忘れたけど,今後も続けていってほしいな,と思う。

ただ,最初に書いたように,組込研修だからマイコンを使うのはわかるけど,
わざわざマイコンを使う意味はなかったように思う。
  1. 開発環境を使って
  2. プログラムを書いて
  3. それを動かして
  4. 実行結果を見てみる
書いてしまえばそれだけの手順だったのだけれど,何故
  1. 開発環境を使って
  2. プログラムを書いて
  3. それをコンパイルしてマイコンに書き込んで
  4. プログラムを動かして
  5. 実行結果を見てみる
という手順にしたのかが全く分からなかった。
暗号化した出力結果を見るというだけなら,printfでも十分な気はする。
そんな風にしちゃうと「組込研修会」にならないのだけれど。

次に,演習のやり方がいまいちだった。
なんと言えばいいのかよくわからないのだけれど,
「講師が受講者のレベルを把握していない」とか「指針はあるけど受けた説明とのギャップが大きい」といったところか。
講師が演習問題を用意してくれるのはいいし,それは身に付けるために必要だと思うのだけれど,
受講者(主に高専生が対象としてよい)のレベルを高く見積もっているような気がする。

例えば,プログラムを書くような演習で
「企画書(英語)を用意してあるので,これ読んでパディングしてハッシュ計算するプログラム書いて」
と言われたこととか。演習は,主要な部分(この場合はパディングしてハッシュ計算)だけがない
ソースファイルがあらかじめ用意されていたことを,念のため追記しておく。
これは最低限英語が読めなきゃいけないが,読めなくても図を見ればまだなんとかなりそうである。
後はなんというか,パディングの部分は配列の特定の要素を上書きするだけで済むようなので,
そこに気付けば問題なさそうである。
ハッシュの計算は関数に投げるだけだったので,それは問題なかった。

たぶん私が一番困ったのは
rand関数で生成した乱数のハッシュを計算して先頭``4バイト''を返す関数を作れ
という演習問題だ。
分かる人はビット演算を使えばよさそうだと気付くと思うが,私はビット演算なんて名前だけ知っていただけで,
どう書けばいいかを覚えていなかった(そういえば教科書見た時に見かけたな,くらいの認識)ので,詰んだ。

…何だか,こう書いていると,結局は私のレベルが低かったせいに思えるのだが,そう思えてきたのだからそうなんだろう。
うん,講師は悪くない。

○長岡IT開発者勉強会 #36
「いろんなプログラミング言語の話を聞けたことが,刺激となりました」

私もTeX言語で,紹介程度の話を少ししてきたのだが,
いろんなプログラミング言語の話を聞ける勉強会だったので,とてもよかったと思う。
というかとても濃密だったので,果たして全部覚え切れたかどうか。
発表者の方々がスライドをアップロードしているので,復習がてら読むのも悪くなさそうである。

…それで,私はその時のツイートを追って,私が発表した時のものを見て顔がニヤついてしまったのだが。
ともかく,非常に良かったので,危うく書店に寄った時に本を衝動買いしそうになったことをここに書いておこう。

○TOEIC
「600点取れればいいや」

リスニングとか後半聞き取れなくて力尽きかけていたし,
ましてやリーディングでは30問ほど残して力尽きたので,とりあえず全部Bにマークした。
というくらいの出来である。
スコアは1か月後くらいに届くというから,それまでは呑気に待つとしよう。

2014/03/13

高専に関する雑多な話

ふと高専に関することをいくつか書きたいと思ったので,雑多な話としてここに書いておく。

○「高専生は英語ができない」を越えるために
では,本人が経験した「もっとこうすればよかった」を回避するために伝えたい20の項目について書かれている。
中でも,「17. 「高専生は英語ができない」という幻想」は私も共感する点である。
悲しいことに,世間(あるいは学生?)では「高専生=英語ができない」という認識が存在している。
あるいは日本人は英語ができないという文言も見かけることがある。

英語ができないと言われる原因として,私は「必要がない」を推しているのだが,
そもそも,日本語で必要な情報はあらかた見つけられるから英語を身につける必要は"なかった"。
今でも,英語圏に情報を求めずとも行きていける人はいる。
ただ,分野,年代問わず,情報を得るためには外国語(英語に限らず)で書かれたものを探す必要に迫られる時代は近付いている気がする*1

そんなわけで,英語を使う必要性については,この先君たちにも襲い掛かると思うので,
あまり心配していないが,次に不安になるのは「学習意欲」であろうか。
これについては,他をあたって欲しい。
君たちが学ぼうとする意思さえあれば,なんとかなるような気がするし,
そこらへん,私はあまり詳しくないというか,よく分からんので何も言えない。

○高専の生い立ちの話
昨日はこんなツイートを見かけました。
高専は科学者の育成機関ではなかったかー。
@tanakah
独立行政法人国立高専機構のwebページ*2を見ると書いてあるように,
高度経済成長期における社会の要請に応じ,最新の科学・技術に対応できるような技術者の育成が目的だった。

一説では「科学者は理論的部分(なぜそうなるのか)の探求,技術者は応用(製品にどう使うか)の探求が仕事」とありましたが,
最近はそのような住み分けはもはや意味を成さない*3ので,科学者の育成機関と言ってもほんのすこしだけあっているのかもしれない。

そも,高専機構のwebページを見ると,
「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」
を目的としているらしい。
後半を見ると,やっぱり科学者の育成期間ではないように思う。

○高専生特有の思考停止について
高専生というと,ものづくりにばかり目が向いていて,実験結果に対する追求(いわゆる考察)が抜けてしまう。
あくまで作って動かすところしか見ておらず,評価した結果は見るものの,その傾向を見るだけという段階で止まりがち。
というのが典型的な,高専生の,思考停止パターンらしい。

この考察と呼ばれる段階をできるようになれば,ただの調査ないし評価が研究にステップアップするらしい。

私自身,研究というものをきちんと理解していない節があるので,
あくまで私はこのように考えているというものを書いて終わりにする。

研究は,以下の一連の流れのことだろう。
  • 背景(課題の発見)
  • 実験(課題を解決するためのアプローチ)
  • 結果(アプローチを行った結果得られたデータ等)
  • 考察(結果から分かること,およびそのような結果となった理由の追求)
  • 今後(考察の追求または結果を基に応用)



*1: 私が好んで使っているTeX関係はそういう傾向があるように感じる。
*2: http://www.kosen-k.go.jp
*3: 色々な分野(科学と技術問わず)に通じている人が求められるので,特定の分野に特化しているだけでは使いにくいのではないかと私は推測している。

2014/03/10

週末は忙しい

やあ,研究はデバイスだけど,空いている時間にTeXを使ったりGitHub使ってみたり,
すごい遠回りすればつながるけれど,決して近いとはいえない方面を見ている寝る子です。

今月は,この週末から1週間ほど,予定が詰まっているよ。
今のところはこんな感じだね。
  • 3/14 - 3/15 : 組込研修会
  • 3/15 : 長岡IT開発者勉強会
  • 3/16 : TOEIC公開試験
  • 3/18 : 学会(ポスター発表)
  • 3/19 : 専攻科修了式
組込研修会は,先生から案内のメールがきたから。
情報系のことを少しでも多くかじりたいからね。

長岡IT開発者勉強会は,元々考えてなかったんだけど,
いっちー氏(@shogo82148)のツイートを見て,参加することを決めました。
TeX言語枠を作って,それで喋れるNNCTの人って私の事指してませんかねぇ,と思いつつ。
スライドはこれから作ります(進捗0%)。

TOEICは,TOEIC-IPのスコア(14ヶ月程前のもの,560点)が手元にあったんですが,
大学院受験にあたり,スコアシートの原本を請求されたのでもう手元にありません。
探せば見つかるかもしれませんが,450点と低い(?)し,3年前のスコアなので期限切れです。
そんなわけで,せめて600点以上取ったスコアが手元に欲しいと思い,受験します。
履歴書に書けるのは何点からでしょうかね。

あとの2つについては省略。

2014/03/06

多すぎて書ききれないけど高専の思い出?+αなことを書く

世間では「卒業するから思い出話する」というのが流行らしい。
せっかくなので,私も書くことにする。

学業の話
本科,そして専攻科と,悪く言えば「何に特化したのかわからない学科」だった。
言い方を変えて,もっと前向きな言い方をするなれば「特定の専門に特化した人たちをつなげる学科」だったように思う。
実際,高専カンファレンス in 長岡2で講演してくださった先生は「いろんな分野を知っている人は企業で重宝される」って話をしていたし,
昨年退官なされた先生も「どこにでも行ける学科」と言っていたと思う。

そう考えると,今まで習ってきたいろんな分野の知識は今後役に立つだろうし,
昔の私が目指したいと思っていた「いろんな分野をかじった人」という目標に近づけたように思う。
最近は,何か専門がないときついという話を聞いたため,
「何か1つ,突出した専門を持っておいて,それを軸足にしていろんな分野をかじる」とかいう
何だかよく分かんないし,ふざけた妄想を描いていたことがありました。

ともかく,いろんな分野を知っている人になれる学科という点は
他の学科にはない貴重なアピールポイントだと思うし,これは積極的に推してほしい。
実際に経済系の学部に進学した人や,デザイン系の学部に進んだ人が同期にいるし。

研究(あるいは研究室)の話
最初は新しく立ち上げになるし,デバイス系とはいえ,新しい分野の研究室ということで飛び込んだ。
指導をしっかりやるから最初は窮屈に感じるかもしれないとか,そんな感じのことは書いてあったけど,そんなことは気にせず飛び込んだ記憶がある。
つまるところ,深い理由はなく「面白そうだったから」で飛び込んだのである。
このようなことを書くと,印象がよくないかもしれないが,
教訓:一時の興味は薄れるかもしれないから,それに身を任せるものじゃない
ということを後に感じたし,教員からもそのように言われた。

さて,実際に教員が企業出身ということで,何かと指導された覚えがある。
加えてそんなんじゃ社会に出ても使えないと言われた覚えだってある。
それもそうだ。私のレベルが低いのだ。
では,何で本科と専攻科のあわせて3年間,その研究室にいたのかって言われると,分からない。
理由はわかっていて,この際だからはっきり書くと,決めた時の惰性である。

なんて話をするとやっぱり印象が悪くなるし,
最近は職員による学生の書き込みのチェックなんてものがお仕事に加わっているようなので,ここからは有益な話。

なんだかんだ言って,今後の役に立つお話だって色々聞けた。
たとえば,

  • 午前はA,午後はBみたいに時間を分けて取り組めば,それは並列で仕事したことになる
  • 自分のいいところを自分の自信につなげる
  • いいところが分からなかったら,他の人に聞いてみる(恥ずかしいけど,一時だけ)
  • 仕事(研究)の進め方(計画立てて,結果出した次はどうするか,失敗したらどうするか想定を立てておくとか)
  • スライドを使ったプレゼンテーションの仕方,構成の組み方
  • ポスター発表するときのポイント
  • 研究とは何か(発表のレベルの高さはこれだったのかもしれない)

とかとか。特に,上の3つは最近実践している(した)。
自分の自身につなげたくて,私のいいところを同期に聞いてみたんだが,「後輩の面倒見がいい」ということらしい。
私も割と放任主義というか,放置するところがあると思うんだけれど,
それでも後輩を気にかけたりとか,きちんと教えてあげたりとかしているらしく,
そこは他の人達と違うところらしい。

確かに心当たりはある。
実際後輩ないし同級生に自分の知っていることを教えるとか,
あるいは課題で困っていたらつい助けたくなったりとか,そういうところ。
今まで特に意識しなかったのだが,これは私のいいところとのことだった。
なるほど,と思い,これを私の自身の根源としよう。
そう思いました。

最近私が変われた話
どうもここ数週間の話ではあるが,フィーバーしている。
というのも,高専カンファレンス in 長岡2に参加して,発表したからだと思う。
自分の知っていることを他人に伝える,それに反応が来る。
それはとても嬉しいことだって感じる。

さらに他人の発表を聞いていると,学べることが多くある。
こういうことを言うと申し訳ないけれど,よく分かんないどこかの偉い人の講演を聞くのとは違う。
もっと面白い話題がある。
そういうところに参加するのは楽しいと思う。

そんなわけで,フィーバーしています。
春休みの内に何かしらのスキルを身につけておきたいところです。
あ,これは私の目標です。

高専について
一旦,ここまでで思い出話は終わりにするんだけど,思い出話の締めに高専って結局どうだったかって話はしたい。

つまるところ,高専って高校とは全然違うし,なんか学校全体の空気が閉鎖的に思えたし,
丘の上だから明らかに隔離されてるし,すごい特殊な環境ではあったけど,
振り返ってみると最高にハッピーなところだった。

昔は理由もなくクソだって言ってたけど,
それは引きこもって何もしてなかったことを環境のせいにしてたからだって気付けたことはいいことだった。

もっかい繰り返すけど高専は最高にハッピーな環境だ。
だって,君たちの中でくすぶっていたクリエイティブな何かを発揮できる環境なんだから。
もう最高だったね。

君たちも高専ライフを満喫してほしい。

これからの話
高専で過ごした7年間の内,特にこの数週間が一番楽しかったように思う。
これでもかってくらい楽しんだ。
でも同じくらい後悔もある。
やりたいと思ったことをやらなくて,それがそのまま積み重なって,
今は胸をはって「私がこれができます!」って言えるものがない。
あるかもしれないんだけど,それは誰でもできるようなこと,ありふれてて新規性がないみたいな感じ。
それもいいかもしれないし,実際そういうところが社会では重要かもしれない。
でもやっぱり,私以外に代わりがいないスキルってほしい。
それは強みになると思うから身につけたいね。

それでも,みんなができることを私もできますっていうのも強みだと思う。
それは,人手が足りないところがあったとしたらどこにでも行ける。
便利屋みたいなことになってしまうし,それは扱い方としては辛いことになるかもしれないけど,
それだって強みになると私は思う,というか信じたい。

さて,これからのことを考えると,
私がはっきりしないといけないって思うのは,いくつかあって
  1. 高専でやってきた分野の研究を大学院で続けるという今の選択でいいのか
  2. 将来どんな職業について,どんな仕事にしたいのか
  3. 仕事にしなくてもいいけど,結局私は何をやりたいと思っているのか
っていう将来的なところ。

これまでは惰性で生きてきた。いや本当に。全然考えてなかった。
でもここまで来て疑問に思ったわけです。
俺,本当に今の進路でいいんだろうか,と。
そう考えたら,どうすればいいのか分からなくなってきて,でもこの時期って,もう取り返しがつかない。
こんな状況で私はどうすればいいんだろう,って不安が実はちょっとだけある。

だから私はとっても恥ずかしいことだけど言いたい。
進路のことはよく考えろ
と。結局どうすればいいかは決まらないまま,私は4月を迎えることになると思います。
笑ってもいいんですよ。

tclt02 に参加した話

去る2014/02/27に学内の,ごく一部の学生たちによって行われたLT大会ないし勉強会に参加してきた。
名称は,最初に開催された研究室の名前から tachilab.lt である。
元々はRubyの勉強会を企画していたらしいのだが,色々あったのか,ジャンルを問わないLT大会となった。
1回目は都合により参加できなかったので,私は2回目にしてやっと参加できた。
発表した内容は以下の4つである。
  • 研究はこういうものという話
  • TeXで××する方法
  • 退官なされたとある先生の名言
  • 私がTwitterアカウントを非公開にした話
今までの経験をLTの内容に反映できたことは嬉しく思う。
ただし発表の質についてはまだ経験不足だったこともあり,
あまり面白みのない発表だったように思う。

今回の開催にあたって,研究室選びの話も用意したのだが,
参加者の中に研究室をこれから選ぶというような人が少なかったため,やめた。
大学に進学するという人であれば,よかったのかもしれないが。

そんなわけで,短いながらも参加報告であった。

反省点として,
  • 私は楽しんだのだが,果たして他の参加者にも楽しさを提供できたか
  • あるいは「ためになる」という感想を抱いてもらえたか
がある。

ところで,高専カンファレンスin長岡2の参加報告のように,
使用したスライドを公開しないのか,という話であるが,
内容的に,公開するのは危ういものが含まれているので公開しない。
2番目のネタについては問題ないが,内容としてはまだまだ未熟なので公開しない。

2014/02/26

.sty を .cls に格上げしたい

研究室では学科での発表で必要になり,予稿を書く際に,LaTeX を使うこともある。
これまでは既存のクラスファイルでの定義を私の作成したパッケージで上書きする形式をとっていたが,
この際,クラスファイルを作ってしまおうと思う。

何故私が今までクラスファイルを書かず,研究室に対してパッケージだけの提供を行っていたかというと,
``クラスファイルってパッケージで定義する以上によく分かんない高尚な設定がつまっていそうで(いじることはおろか,作るの)怖い''
というよく分からない思い込みのせいである。

ところが,奥村先生が提供している jsclasses のうち,jsarticle.cls を見ていたら,そこまで難しそうなものは入っていないので,
じゃあできそうですね,という話である。

ただし,きちんと仕様を定義してあげないと後輩たち(ユーザー)が悲鳴をあげそうである。

…ところで,もう卒業していなくなってしまうのだから,そこまでする必要はないように感じている。
それでもドキュメントくらいは残しておかないといけない気がするので,既に研究室に置いてあるテンプレートのドキュメントくらいは作ろう。

2014/02/16

高専カンファレンスin長岡2 参加報告(スタッフとして)

高専カンファレンスin長岡2のスタッフとして,今回の開催の振り返りを少し書いていこうと思う。
なお,発表者としても参加したので,発表者として見た感想は以下を見て欲しい。

高専カンファレンスin長岡2 参加報告(発表者として)

よかったこと
  • 発表中にスタッフや参加者からの反応があったこと
  • 飛び入り参加でスケジュールに柔軟さがあったこと
  • テーマに沿った発表やLTでおそらく参加者に刺激を与えられたこと

参加者の反応をTwitterで見ていると,楽しんでもらえたみたいだった。
また,発表したいって人が見られたのもよいことだったと思う。
そういえば,高専生以外でも発表して大丈夫なのか,というものが見られたが,
高専カンファレンスという名前は付いているものの,発表者の経歴は何も関係ない。
だから高専に全く関わらなかった人でもいいし,院生でも構わない。

反省したいこと
  • 全体的な動き出しが遅かったこと
  • 高専カンファレンスがどんなものか宣伝してなかったこと(→参加者をもっと増やせたかも)

どんなことをやるのかイメージ出来ないイベントに参加するのは,遠慮してしまうらしい。
それを考えると,今回の参加者があまり振るわなかったのは分かるように思う。
これについては次に活かしたい。

また,当日の手伝いとして参加してくれた@lilac_Teufel氏からは
「電気系と情報系の発表は多いみたいだけど,機械系の発表をする人はいないのか」
というコメントをもらった。
確かに機械系の発表というのは見かけないから,是非とも機械系の発表も入るようにしたい。

終わりに
今回は,当日になって天候な意味でトラブルがあり,「ぜんぶ雪のせいだ」が合言葉になるかもしれない。
ただ,私個人としては参加者の皆に刺激を与えるよい勉強会になっていたように思う。
おそらく,次もまた後輩たちが主体となって開催していくことを期待したいが,
やはり長岡1もスタッフとして参加した身ではあるから,助言を与えたいし,開催に関わりたいというのもある。
参加者の感想は全部まとめたわけではないけれど,次は(次も?)参加者全員が「楽しかった」と言えるものを目指したい。

スタッフおよび参加者のブログ記事
@alitaso345 高専カンファレンス in 長岡2に参加した話
@yky_sokkou 長岡カンファ2に行ってきた

高専カンファレンスin長岡2 参加報告(発表者として)

2/15(土)にアオーレ長岡にて,高専カンファレンスin長岡2が開催されました。
スタッフとして,また一般発表,LTの参加者として参加してきたのでその辺りを書こうかと。
ただ,あんまりにも長くなりそうなので,発表者とスタッフでわけで記事を書こうと思う。

一般発表
今回のテーマは「Wake Up Geek!」,ないし「全ての高専生に目覚めを」といったスローガンだ。
参加してくれた高専生を刺激して,何かに目覚めして欲しい,あるいはもっと高専生活を楽しんで欲しいという意図だった。
そんなわけで私は,1人のLaTeXユーザとして,TeXと呼ばれているツールについて話すこととした。
大まかにはTeXというものの紹介で8割,残り2割でLaTeXで「千反田える」したことについて話した。

ろくに練習をしてなかったため,あまりよいものではなかったように思う。
ただ,LaTeXで「千反田える」の結果を見せた時は,参加者からの反応や拍手があり,嬉しかったことは確かである。
今回は一般発表で主にスタッフから茶々を入れることがあったが,
そのような感じで,参加者から何かしらの反応があると嬉しく思う。

参加者の反応が欲しかった,という点ではLive TeX Codingは工夫する余地があったな,と反省している。

私はTeXの紹介をしたが,TeXとMSWordの2つが文書?作成のツールとしてあると思うが,
最近はTeXとMSWordによる出力の差は少なくなってきているから,使いたい方を使えばいいと考えている。
その上で,TeXを使う人が出てきてくれたらいいな,という淡い希望である。



LT発表
今回の開催では天候によって交通機関に遅れが生じたり,あるいは運休が出たりしたため,
基調講演をやってくださる予定だった方と一般発表をやってくださる予定だった方1名ずつが欠席となった。
そのため,時間が余ることとなり,会場でLTのスライドを作成した。

内容は一般発表で少しだけ触れたTeXとMSWordのどっちがいいか,という不毛な争いについて。
おそらくこんなところが理由としてあるのではないか,という推測と,
最近はTeXもMSWordも出力にあまり差がでないと思うので,気にすることはないとの発表をした。
参加者のツイートを見ていたら,TeXユーザがMSWordユーザに喧嘩を売っている構図が見えてきた。
やはりその辺りを抑えるところからなのだろう。

今にして振り返ると,即席だったので,言いたいことと中身がずれているところがあったように思う。
もう少し時間を書けて準備するか,もっと早くまとめられるようにする必要があるなぁ,と感じた。



最後に
はじめて高専カンファレンスという場で発表したが,とてもわくわくした。
はじめて勉強会と呼ばれる場で発表したが,自分の持っているもの,知っていることを相手に伝えて反応をもらえることはとても嬉しい。
今回の開催は,私にとって非常によい刺激となった。

今回はあいにくの雪で少々トラブルが発生したから,次の開催は雪の降らない時期でもいいかと思う。

2014/01/02

年越しTeX後日談

去る 2013/12/30 に開催され,無事に終了した「年越し(てない)遠隔TeX勉強会」について,
私が元々配布資料の作成についてどう計画していたかを書いておくだけの記事である。

当日の感想については 年越し遠隔TeX勉強会:「進捗ダメです」 を参照すること。
(以上の記事はBACARDI STRAWBERRY DAIQUIRI fizz(お酒,アルコール度数6%)を飲みながら書いたことをお詫び申し上げます)

以下に目次だけ書いておきますが,これらの内容が記載された状態を完成とする予定でした。
  1. TeXとは / TeXの歴史
  2. TeXの本(入門者向け)
  3. TeXのインストール方法(W32TeX,TeX Live)
  4. TeXのための統合環境
  5. TeXによる文書作成(チュートリアル)
さて,実際に当日までに作成したのは3章までです。
4章についてはTeX Worksの紹介をするか,そもそも資料の内容には含めない予定でした。
統合環境についてはよく知らないためです。
それ以降は全くの手付かずでした。当日に5章の数式に関する部分を作成しました。

各位にはご迷惑をお掛けしたことを改めてお詫び申し上げます。