2014/03/13

高専に関する雑多な話

ふと高専に関することをいくつか書きたいと思ったので,雑多な話としてここに書いておく。

○「高専生は英語ができない」を越えるために
では,本人が経験した「もっとこうすればよかった」を回避するために伝えたい20の項目について書かれている。
中でも,「17. 「高専生は英語ができない」という幻想」は私も共感する点である。
悲しいことに,世間(あるいは学生?)では「高専生=英語ができない」という認識が存在している。
あるいは日本人は英語ができないという文言も見かけることがある。

英語ができないと言われる原因として,私は「必要がない」を推しているのだが,
そもそも,日本語で必要な情報はあらかた見つけられるから英語を身につける必要は"なかった"。
今でも,英語圏に情報を求めずとも行きていける人はいる。
ただ,分野,年代問わず,情報を得るためには外国語(英語に限らず)で書かれたものを探す必要に迫られる時代は近付いている気がする*1

そんなわけで,英語を使う必要性については,この先君たちにも襲い掛かると思うので,
あまり心配していないが,次に不安になるのは「学習意欲」であろうか。
これについては,他をあたって欲しい。
君たちが学ぼうとする意思さえあれば,なんとかなるような気がするし,
そこらへん,私はあまり詳しくないというか,よく分からんので何も言えない。

○高専の生い立ちの話
昨日はこんなツイートを見かけました。
高専は科学者の育成機関ではなかったかー。
@tanakah
独立行政法人国立高専機構のwebページ*2を見ると書いてあるように,
高度経済成長期における社会の要請に応じ,最新の科学・技術に対応できるような技術者の育成が目的だった。

一説では「科学者は理論的部分(なぜそうなるのか)の探求,技術者は応用(製品にどう使うか)の探求が仕事」とありましたが,
最近はそのような住み分けはもはや意味を成さない*3ので,科学者の育成機関と言ってもほんのすこしだけあっているのかもしれない。

そも,高専機構のwebページを見ると,
「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」
を目的としているらしい。
後半を見ると,やっぱり科学者の育成期間ではないように思う。

○高専生特有の思考停止について
高専生というと,ものづくりにばかり目が向いていて,実験結果に対する追求(いわゆる考察)が抜けてしまう。
あくまで作って動かすところしか見ておらず,評価した結果は見るものの,その傾向を見るだけという段階で止まりがち。
というのが典型的な,高専生の,思考停止パターンらしい。

この考察と呼ばれる段階をできるようになれば,ただの調査ないし評価が研究にステップアップするらしい。

私自身,研究というものをきちんと理解していない節があるので,
あくまで私はこのように考えているというものを書いて終わりにする。

研究は,以下の一連の流れのことだろう。
  • 背景(課題の発見)
  • 実験(課題を解決するためのアプローチ)
  • 結果(アプローチを行った結果得られたデータ等)
  • 考察(結果から分かること,およびそのような結果となった理由の追求)
  • 今後(考察の追求または結果を基に応用)



*1: 私が好んで使っているTeX関係はそういう傾向があるように感じる。
*2: http://www.kosen-k.go.jp
*3: 色々な分野(科学と技術問わず)に通じている人が求められるので,特定の分野に特化しているだけでは使いにくいのではないかと私は推測している。

0 件のコメント:

コメントを投稿