2014/10/24

私感の理想論

途中,私でさえ書いていて意図の見えない何かがあるものですから,私の思うところは最後に箇条書きにしておきました。

わたくし,Twitterを始めてから,こうしてブログに綴るネタをTwitterで出し尽くしてしまい,もういいやと思ってしまうこと多々であります。
しかしながら,私の思うところをつらつらと書き連ねようものならば,140字という枠に収められた断片をいくつも放り投げることになりますから,
まるで運動会の玉入れのごとき有様になるのではなかろうと思ったのであります。
まあ,嘘ですが。

さて,Twitterを眺めていたら,「大学を職業訓練校に」などというお題目を見ました。
一体どこの高度経済成長期における社会の要求,すなわち発展してゆく技術者を短期間で育成することを目的とした教育機関の設立を大学という学術機関で果たそうとする馬の骨でありましょうか?
ちなみに,これは高等専門学校略して高専のことであります。
元々は高度経済成長期における社会の要望に応えるべく,日々急成長を遂げる科学技術に対応できるような技術者の育成が当初の目的であったと私は記憶しております。
さて,これが正しかったかどうかはよく覚えていませんが,概ねそうであったと記憶しております。

大学を職業訓練校にするなどという幻想を抱くなら職業訓練校に子供行かせろよ。
社会の求める人材像を教育機関に押し付けるからそんな世迷い言が出てくるんだろうが。
と思う次第なのでありました。

さて,私の思うところを少し書きましょう。
大学のいいところは研究をするところだと私は思います。
それは高専でも同じであります。
高い専門性を謳っても,大学程度ではありふれているものですから,価値がありません。
このことに関しては拙稿「「自己理解」と私は言った」を御覧ください。
科学技術が発展していく上では,研究が必要不可欠であります。
それと同時に,学術機関において研究されたものを,私たちの生活へと持ち上げるないし下ろしていくためには,企業における研究開発が必要となります。
大学,あるいは大学と大学院を通して,貴方たちは"研究"なるスキルを多少なりとも理解できると思います。
研究は,現代社会で求められるPDCAサイクルなるものを体現したものです。
計画を立て,実行し,振り返り,改善点を思案する。
この繰り返しを重ねることにより,仕事は果たされていくのでしょう。
私は社会に出たことがないので知りませんが,PDCAサイクルは大事だと講演する人は言うのですからそうなのでしょう。

さて,私でさえも意図の見えない散文を書き連ねてしまったものですから,私が思うところをざっくりと書いておきますと
1. 大学は研究機関でもある。研究を通して得られる経験は大切にするべきである。
2. 「大学を職業訓練校に」という言い分は,企業の要求を押し付けているだけではなかろうか。
3. 転じて,企業には新卒を育成する体力がないという現れではなかろうか。
4. ただ,最近は企業の求めるスキルが研究で求めるスキルと同一化しつつあるかもしれないこともまた,ここに記しておきたい。

2014/10/22

「自己理解」と私は言った。

昼,多くの学生が正午に食堂に向かうのだから,じゃあ私は時間をずらして向かおうと思った。
きっと誰もが食堂に行って昼ごはんを食べようと思う時間より少し後に,私は小雨の中,傘をさしていつもの食堂へと向かう。
どこかのアカペラサークルだか何かが練習しているんだろう。
彼女たちの歌声を聞き流し,「きれいな声だな」と言ったくらいの拙い感想を抱いて私は食堂へと入る。
彼らは食堂の上に設置された学生会館なる建物のベランダで練習しているのだ。

食堂に入り,いつもそうしているようにてきとうに選んだおかずとごはん,そして味噌汁をつけて惣菜の小鉢を取る。
もはや私の選ぶおかずは3パターン程度に絞りこまれているので,何を選ぼうにも2,3日前のメニューと被る。
そんなことはどうでもよくなったので,カウンターで注文しておかずを出してもらい,ごはんと味噌汁も出してもらって,トレーに乗せて会計へ。
入学時の目論見が外れたので,一人寂しく消費することを余儀なくされた学食専用電子マネーで支払いを済ませ,窓際に設置されたカウンター席の端っこに座る。
共に食べる仲間などいないので,黙々とスマホを片手に昼食を食べながら,私はふと思った。

ああ,結局私は表に出て目立ちたくないという消極さと同時に,私はここにいるという自己顕示欲をこじらせた人間の屑なのだなあ,と。
結局のところ,書いて字の通りなのである。
私は目立つのは嫌である。
多くの人から注目を集めるのは苦痛である。
私はそう認識している。
ところが,本日の授業の終盤で実施された演習の時にも感じたように,私の功績を褒めてほしいとも思っている。
それは,人より早く,あるいは一番早い人から数えて何人目で問題が解けた,というちっぽけな結果なのだけれども,私はそれに対してもっと注目して欲しい。
頼って欲しいという欲求を抱いた自分を自覚したこともまた事実である。
そういうわけで,私は先に書いたようなことを思ったわけである。

それから私は,自分の価値について少し思いを巡らせた。
私が受講している授業担当曰く,「君達の学んできた専門に価値はない(※1)」と。
私たち学生は,今現在自分が所属している大学において,確かに電気電子工学を専門として学んできている。
そして私たちは,所定の課程を修了した後,おそらくは電気電子工学を学んだ人間を必要とする企業へと就職するだろうし,それを強みであるとして売りにしようと考えるだろう。
ところで,電気電子工学を学んだ人間を輩出できる教育機関は,一体どれほど希少なのであろうか。
答えはそもそも希少価値が存在しない,であろう。
何せ今となっては電気電子工学を学べる教育機関など全国に散らばっている。
どこもかしこも同じような科目を設置して,学生に教えていることは明白であろう。
その上で,私たちが用いる専門性には価値はあまり認められないという意見には同意を示すしかなかった。
それでは,一体どこに価値を見い出せばいいのであろうか。
あるいは,どこに価値を求めればいいのであろうか。
学んできた専門の価値が低いのであれば,それ以外に求めるしか無く,それ以外ともなれば,その人々の個性であるとか,積んできた経験とかになってくる。
つまりは,学業として学んできたこと以外のものをアピールする必要がある。
具体的にはプレゼンテーション能力とか,性格とか,取り組んできた研究とか,これまでの学生生活を通して得た経験とかである。
そのように考えた時,面接官が,学生に対して"個性"なるものを求めようとする動きも,まあなんとなく理解できたように思う。
何せ,専門性はほぼ一定のレベルになっており,比べる必要性が薄れたためであろう。
そのために,それゆえに,面接官はそれ以外に人と比べられるもの,企業に人材として受け入れるに値する価値が存在する部分を求めた結果が,個性なのだろうと私は愚考した次第であった。

……そんなわけで,就活生が自己理解なるものに勤しめと言われる理由もまた,少し理解できたように思う。
要は「これが私のアピールポイントです」と自分の価値を宣伝するために,その材料を探せと言っているのだ。

※1:「こんな偉いこと言えるほど私にも価値があるわけではありませんが」と前置きがあったことをここに追記しておく。