2014/12/31

2014年を振り返る (1)

今年もいろいろなことがあった。
某SNSではタグ付けされた写真しか出してくれないので,全く思い出がないかのように扱われているのだがそんなことはない。
ひとまず,この1年間に何があったかを振り返ってみようと思う。
カレンダーを見ながらイベントを振り返っているが,6月~10月はカレンダーに予定を記入してない期間だったため,何があったか思い出せない。

1月
・専攻科特別研究発表会
研究発表のストーリーについて酷い言われようだったと記憶している。
同じ研究室の他の発表よりも改善した結果がないので見劣りするということだったと記憶している。
前日は22時頃までやり,3月の学会発表の登録をその場で済ませ,そして当日を迎えたように思う。
当日は質疑応答で少しばかり失敗したために発表賞は逃したか。
これもまた一つの反省である。

・本科5年生卒業研究発表会
全体的に発表内容のレベルが上がっていたように思う。
きっと,とある研究室がレベルの高い発表をしているために,それに追いつけ追い越せと影響を受けた結果なのだろうか。
聞いているこっちとしては,練習した通りでやれていたと思うが,内容が難しいので,どうしてもアプリケーションを作りましたとか言うような研究発表に学生の票が流れてしまうように思う。
というのが,当日の印象である。

2月
・期末試験
期末試験については大した問題もなく終わった。
半導体デバイスの試験の点数が中々酷いことになった点については除く。
結局その後の解き直しで点数は大幅に書き換えられたのだが,確か私は何かの用事で長岡を離れていた期間があるはずなのだが,一体何のためだ?

・Tachilab.LT 02 開催,初参加
3月の学会で発表するポスターを作成し終えた後,発表練習まで至った段階での話である。
開始時間ギリギリになって開場へと駆け込み,発表した記憶がある。
これがTwitterで見かけるだけだった後輩との関わり始め,のような。

・国際学会で発表する話が来る
進学先から国際学会があるけどどうか,という話が指導教員経由できた。
予稿の投稿締切までは3日にまで差し迫った時の話だった。
私はその話を承諾し,予稿は先生に書いてもらったという始末。
さすがに3日で英語の予稿を書き上げろ,という話はきついものがあったから仕方ないことだった。
その際の不手際に関しては申し訳ありませんでした。

3月
・長岡IT開発者勉強会 [1]
その日,重点テーマとして「様々な言語たち」といった感じのテーマが設定されていたはずである。
そこで私はTeX言語についてろくに知らないのでほんの触りながら飛び込んだ。
反応はなかなか良かったと記憶している。
さすがにTeXでプログラムを書こうなどという話は,やろうとは思わないだろう。

・TOEIC受験
リーディングで眠くて力尽きたのでスコアが425/990なるクソザコとなった。
今では反省している。


・学会 [2]
修了式の前日に,電子情報通信学会でポスター発表をするということとなった。
それが3月の学会発表というやつである。
電子情報通信学会 情報・システムソサイエティ 特別セッション 学生ポスターセッションである。
情報系の特別セッションだと言うのに,何故か電子デバイス系の研究室の人間がこぞって参加するというよく分からない状況だったと記憶している。
あまり人が来ないので,ある程度暇な時間を過ごし,ちゃちゃっと退散した記憶がある。

・専攻科修了式
5年間の本科と2年間の専攻科,あわせて7年間の高専時代の終わりを告げる日であった。
修了式自体は特に何かあったわけでもなく,むしろ謝恩会も…何かあっただろうか。
後輩が卒研発表賞の金賞を受賞したという話はめでたいことである。
彼は今専攻科に進学し,少しばかり苦しんでいるようなのだが,頑張って欲しい。

・旅館は肌があわないと思った話
駐車場付きの安い旅館を探して泊まったのはいいのだが,畳なのでたぶんダニとかそういう何かでアレルギーが出た。
騙し騙しで市販の薬を塗っていたのだが,あまり治らず,困ったものであった。

それと,いつだったろう,修了式より前だったが,知らないおっさんが夜中に部屋に入ってきて「誰だお前」と言ってきた記憶がある。
お前こそ誰だよ,と思った話であるが,旅館はたぶん構造上部屋に施錠できないつくりなので,そこらへん気をつけないと大変なことになると思った次第である。

・アパート入居
大学院に進学するので,アパートに入りました,それだけ。
家賃が安いところで探して入ったけれど,今のところ特に不便はない。

4月
・入学式
・歓迎飲み会
・国家公務員総合職一次試験を受験するも不合格

5月
・Tachilab.LT 03 [3]
・国際学会参加 [4]
ISOME2014参加しました。

6月
・留学生を迎えに空港まで車を走らせる
・地元の企業見学バスツアーに参加
・国家公務員一般職一次試験を見送り

7月
・地元の企業見学バスツアーに参加
・大学院のキャリアフォーラムに参加したら博士課程卒しか来なくて真顔になった。
参加者と講演者の要求のミスマッチを感じた。
・共同研究打合せ

8月
・Tachilab.LT04 [5]


9月
・砲雷撃戦!よーい!軍令部酒保合同演習
同人誌即売会の空気を味わったけど冬コミはもっと混むだろうなと思った。

・官公庁業務内容説明会

10月
・研究テーマの切り替え
・留学生歓迎会
・学会の特別講演を聴講

11月
・TeXユーザの集い2014参加 [6]
・就活と称してセミナーに参加する
・共同研究打合せ

12月
・国際学会のアルバイト
・IT系企業が主催する勉強会に参加
・インターンシップに参加
・装置の都合で日付が変わってから帰宅すること数回
・高専カンファレンスin福井2に参加
・研究室での忘年会
・高専研究室での忘年会
・会社説明会・座談会参加×2
・Xmas.LT [7]
・冬コミ参加
・そして年末へ

…こうして書き出すと12月が忙しいと思ったのも納得できる。

2014/12/13

論文で使ったパッケージの紹介

0.

これはTeX & LaTeX Advent Calendar 2014の13日目の記事です。
昨日(12/12)はdoraTeXさん,明日(12/14)はhak7a3さんです。

2014/12/13 14:50 : 初稿


1.

今回初の導入(?)となった重点テーマが「このパッケージがスゴイ!」なので,何か知っているかつ面白そうなパッケージについて書こうかと思いました。
その結果,知っている範囲のパッケージは大体の人が既知なものだと気付き,何か面白そうなパッケージが浮かばなかったので,卒業論文を書く時に私が使ったパッケージのうち,一部を紹介しようと思います。
私が学士論文を執筆するにあたって,使ったパッケージは以下のとおりです。
  • graphicx
  • amsmath
  • txfonts
  • setspace
  • cite
  • subfigure
  • 研究室向け自作パッケージ(Githubで公開中のはず)
graphicxは皆さん既知(どれほどパッケージの内容を知っているかともかくとして)なので割愛します。
今時はdvipdfmxをドライバとして指定するのがノーマルです。
というより最近はpdfプレビューが普通なので未だにdviプレビューな皆様は移行しましょう。
amsmathはあべのりさんがちょっと紹介しているので割愛します。
txfontsは私自身何でこのパッケージ使ったのか覚えてないので割愛します。
setspaceは特に行間を調整するために入れたパッケージなので割愛します。

…と言うわけで,消去法を使った結果残ったciteとsubfigureについて紹介しておこうと思います。

2. citeパッケージ

TeX/LaTeXのデフォルトでは,参考文献の番号は本文のフォントサイズと同じ,番号の両端に角括弧,すべての番号を出力する(連続した番号はハイフンとかで省略しない)になっていたと思います。
文字通り書くとこんな感じ[1, 2, 3, 4]だったと思います。
これの設定を変えようとした場合は,\citeマクロ辺りの定義を追っかける必要があるはずですが,元々の定義どこですか。
(調べてみたら"\@cite"でした)

ただ,ここで紹介するciteパッケージで出来るので,気にする必要はありませんが。

citeパッケージは参考文献の番号の書式について,設定を簡単にできるようにするためのパッケージです。
パッケージに与えるオプションや,マニュアルに従った記述によって参考文献の番号の書式をいい感じに出来ます。
例えば,番号の両端は角括弧[1]にして,上付き文字,番号は勝手にソートしてくれると嬉しいな,となると

\usepackage[superscript,sort]{cite}

となります。番号の両端はデフォルトで角括弧なので特にオプションは与えていません。
もし角括弧ではなく丸括弧にしたい場合は,次のように記述をプリアンブルに追加することで実現できます。

\renewcommand{\citeleft}{(}
\renewcommand{\citeright}{)}

ここで再定義された\citeleftと\citerightはciteパッケージの内部で定義されているマクロで,番号の両端に表示するものです。
この他に,番号との間に入れる区切りや番号の書式自体も設定することが出来ます。
細かいことはマニュアルで,と言うと怒られそうですが,たぶん上で述べたくらいの情報があれば大丈夫な気がするのですが気のせいでしょうか。
設定できるならば需要があるということだと思いますが。

なお,番号が連続しているかつ多い場合は自動で圧縮してくれるので便利です。
[1,2,3,4,5]とかあった場合には[1-5]のように圧縮して表示してくれます。
もし省略してほしくない場合は,nocompressオプションを与えることになります。

3. subfigure

複数の図を並べる方法としてはminipage環境がありますが,その場合には図の番号がいい感じ(図1(a),図1(b)とか)に出来ません。
誰かが複数の図に(a),(b)とかキャプションをつけたものを1枚の図として作成して,それをfigure環境で挿入するということをやっていましたが,何かそういう方法って出力としてはたぶん問題無いと思うのですが,作業する手間という点ではあまりスマートな感じがしません(?)。
そこでsubfigure環境なのです。

subfigureパッケージには特にオプションがないので,\usepackage{subfigure}で使えます。
そしてソースファイル中では,次のように使います。

\begin{figure}[*option*]
\subfigure[*caption*]{
\includegraphics[]{}
\label{}
}
\caption{}
\label{}
\end{figure}

figure環境の中にsubfigureマクロを入れて使います。
1個目にそれぞれの図に対する図題,2個目に\includegraphicsやら必要であれば\labelでラベル定義をします。
subfigureマクロの外で\captionを入れて作れば,並べた図全体に対する図題として挿入できます。

ただ,subfigureパッケージ自体は古いものなので,もし複数の図を並べて挿入する場合には
subcaptionパッケージを使うことを推奨されています。

4.

Appendix そういえばあった

いつぞやの「LaTeXで"千反田える"してみた」もGithubで公開中です。
終わったコンテンツ略して終わコンですが,気になる人はどうぞ。

2014/12/10

#イマジナリー熊野

0.

イマジナリー熊野は私の罪

1.

2014年9月1日,艦これにおいて"4-3 リランカ島空襲"を攻略している最中のことであった。
ボスがいるマスの直前において,艦隊は決して軽くはない被害を受けた。
よく覚えていないが,具体的には熊野が大破していたと記憶している。
大破している艦娘をそのまま進撃させれば轟沈は(ダメコンは積んでいないとすれば)回避できない。
それゆえ,撤退を選ぶことが懸命であった。
確かその時は,応用情報技術者試験の参考書を読みながら操作していたと記憶している。
それ故なのかそうではないのか,今となってはもうどうでもいいことではあるが,明らかな操作ミスを犯した。
すなわち進撃を選択したのである。

案の定,というのは不適切な表現であるが,熊野は戦艦ル級の一撃により轟沈した。
これまで誰一人として轟沈を出してこなかった私の初めての轟沈であった。

当時のことを思い出すと,何故そうなったのかと目の前の現実を受け入れられなかった記憶がある。
原因としては,熊野が大破していながら進撃を選んだことなのであるが,では何故進撃を選んだのか。
この時ばかりは,偶然,「追撃せず」「夜戦突入」の並びと「進撃」「撤退」の並びは同じ撤退を意味するもの同士で同じ側になかったことを失念していたように思う。

しかしながら,どれほど後悔しても熊野が轟沈したという事実は変わらず,私はおそらくは受け入れられない事実を目の前に突きつけられた多くの人間が取るであろう行動をとった。
つまりは,熊野という幻影を作り出して,それと会話するという行為である。
それが後々"イマジナリー熊野"と名付けられたそれの誕生であった。

1.5.

イマジナリー熊野の誕生に関して,鈴谷×熊野なるカップリングは一切関与していない。
イマジナリー熊野の誕生は,私の操作ミスによって彼女を轟沈させたことが原因である。

2.

イマジナリー熊野を艦これの二次創作として採用しようと考えた経緯についてはよく覚えていない。
そもそも艦これ二次創作に手を出そうと至った経緯が,おそらくは他の二次創作作者各位の作品を見て触発されたためだったと記憶している。
そんなわけで,イマジナリー熊野を題材として作ってみたものの,今にして振り返れば満足できる出来ではない。

イマジナリー熊野に関しては,いくらかの変質があった。
はじめは,私の罪としてのイマジナリー熊野だったが,やがて神栖麗奈のような現象としての側面を私が見出した。
あるいは熊野の轟沈を受け入れることができなかった鈴谷が,提督を通して見ている存在だっただろうか。
ただ,いくらかの変質を経由したところで,根本は変わらない。
すなわち,イマジナリー熊野とは私の罪である。
彼女の存在こそが私の罰なのである。
これは揺るぎようのない真実であると考えている。

3.

2014年11月17日,艦これをやる気力がいくらか失われていた私は,気が向いたという程度の理由ではあったが,艦これにログインし,艦隊を編成し,リランカ島空襲を再び攻略するべく出撃した。
結論から言えば,この作戦は無事成功することが出来た。
すなわち,これによりイマジナリー熊野にまつわるものの精算を終えることが出来たと考えている。
それを私は,"イマジナリー熊野の死"と表現した。
彼女を二度殺した私は,おそらく重罪人として死罪に処されるべきであろう。

熊野は二度死んだ。
一度目は艦娘として。
二度目は偶像として。
そしてイマジナリー熊野が死んだとした私は,後に残る虚しさを感じるのであった。
たしか,私がイマジナリー熊野に変わる偶像であると認識したのはこの頃だったか。
よく覚えていないが,おそらく燃え尽きに似た状況であったと思う。
その状況を表す適切な言葉を探していた私は,きっと自分自身もまた死んだと表現したのだろう。
勢いで遺影アイコンを仕立てあげたのも,この頃だったと思うが,定かではない。

4.

結局のところ,イマジナリー熊野を殺すことはかなわず,今でも私は彼女を追いかけている。
いつか,イマジナリー熊野のリファレンスデータと呼べるものを作り上げたいと思うものの,
それが出来上がるのはいつであろうか?